投稿者: admin

29.雑魚川の大滝...

 雑魚川の上流にある滝で「おおぜん」と呼ばれています。  高さ約20m、結東層の堅い変質した安山岩の凝灰角礫岩が作る滝です。奥志賀林道沿いの切明から約6kmのところに位置します。雑魚川沿いに残る原生林…

6.中野の無斑晶ガラス質...

 約150万年前〜100万年前、関田山脈周辺で始まった火山活動により、毛無山の噴出物が古信濃川に流れ込みました。これらの溶岩の中には、無斑晶ガラス質安山岩と呼ばれる黒く光る岩石が含まれ、一部は志久見川…

18.阿部家(長野県宝)...

 多雪地帯特有の中門づくりの萱葺き民家で、長野県宝(指定文化財)になっています。  阿部家住宅は、母屋がL字型に突き出した「中門」に馬屋と便所を設け、中門の先端に主要出入口を設けている点に間取り上の特…

4.小滝四ツ廻りの滝と運...

江戸時代、幕府は信越天領米の輸送や飢餓の時の救援物資の輸送など、千曲川における通船の利用価値に期待を寄せていました。当時の物流において、船が果たす役割は大きなものでしたが、市河谷にある四ツ廻りの小滝な…

16.常慶院

 常慶院は、栄村箕作にあり、曹洞宗の市河谷第一の由緒あるお寺として知られています。寺歴によれば、江戸時代の天和2年(1682)の文書に、室町時代応永5年(1398)の開山とあり、津南町寺石の吉祥寺や船…

2.中条川上流の崩落地形...

 信濃川左岸の東頸城丘陵地域は、約260万年〜220万年前頃の古日本海の海岸線付近でした。そのため泥層、砂層、礫層、火山灰層、亜炭層などの地層が見られ、これらを魚沼層と呼びます。そして、千曲川・信濃川…

3.森宮野原駅 最高積雪...

 昭和20年の豪雪の際に、森宮野原駅付近で最高積雪7.85mを記録しました。積雪量は当時としては日本一で、その凄さを示す標柱が立てられています。当時、2階建ての家の屋根まで雪が積もり、電柱の電線をまた…

24.鳥甲山の筋状地形...

 鳥甲山は、標高2,037mの火山です。中新世の堆積岩・石英閃緑岩類を土台としておよそ77万年前頃に形成された開析の進んだ複式成層火山であり、布岩山—鳥甲山—剃刀岩—白倉山の連山を含んで「鳥甲火山」と…

16.鳥甲牧場と湖成層...

 鳥甲牧場周辺にはシルト層を主体とする五宝木湖成層と呼ばれる湖成層が分布することから、湖であったことが推測されます。時代は不明ですが、苗場火山噴出物、鳥甲火山噴出物の堆積と関連して形成されたと考えられ…

27.切明温泉の源泉湧出...

 切明の川原を掘ると温泉が湧き出てきます。この温泉は、新第三紀後期に隆起した中央隆起帯と呼ばれ、500万年前に貫入した花崗岩の一種の石英閃緑岩との関係が考えられます。この温泉は、カルシウム・ナトリウム…

28.鬼沢火砕流の堆積物...

 鳥甲山の第Ⅱ期溶岩で、T2と呼ばれます。白色のざらざらしたデイサイトの火山砕屑物で、溶結している部分もあります。雑魚川の支流鬼沢の中流〜下流および高山沢の勘五郎の滝付近に見ることができ、秋山林道沿い…

15.長瀬新田遺跡...

 長瀬新田遺跡は、志久見川左岸、標高約520mの朴ノ木坂段丘面に位置する縄文時代の遺跡です。  本遺跡からは、5,500年前の火焔型土器が出土しており、当時の集落が形成されていたと考えられます。  さ…

5.天代の露頭...

 天代では、およそ43万年前から現代までの地層を観察することができます。  この露頭は、志久見川の上流、天代川に併走する、天代から野口へ向かう上り坂カーブのところで見ることができます。およそ43万年前…

19.布岩山の柱状節理...

 中津川左岸に湧き出る屋敷温泉を見おろす対岸の国道から眺めると、反物を幾重にも垂らしたように見える岩壁が「布岩山」です。ほぼ直立する柱状節理は大きく、その柱の幅は1.5m以上を計測します。また、よく観…

22.上野原の風穴...

 国道405号線沿い、上野原集落への登り口少し手前の岩壁の隙間から冷たい風が吹き出る場所があります。これが、「上野原の風穴」です。この岩壁は、エラクボ平火山岩です。エラクボ平火山岩とは、今からおよそ5…

25.屋敷の凝灰岩層...

新第三紀中新世中期から後期に湖であったところに堆積したと推定される、凝灰岩の地層です。 中津川上流の和山付近、特に中津川左岸に大露頭があり、対岸からみることができます。 和山から小赤沢にかけての中津川…

26.夫婦滝

 夫婦滝は、雑魚川と魚野川の合流点にかかる滝です。  切明橋の上から下流に向かって右岸奥に遠望できます。新緑や紅葉の時期には、二筋の白い流れが美しく背景に映えます。   切明周辺には、緻密で平滑な節理…

8.甘酒村跡...

 甘酒村は、大赤沢集落と小赤沢集落との間、硫黄川の左岸に位置していました。  江戸時代、鈴木牧之による『秋山記行』には越後秋山郷と記録されていますが、現在は長野県栄村です。当時は2軒の家があったと書か…